健二がゆく〜志士迷走記録〜

Kenji, was er nach der Rückkehr in die Heimat als Fußballtrainer macht, wo die Sonne aufgeht

メリハリのあるサッカー

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最近、愛車のNew Beetleを車検に出した。
それに先立ち、車検の見積もりをフォルクスワーゲンのディーラーでしてもらった。色々と話していたら(部品交換など、悪いところがたくさん!で話が長引いた)、車の燃費の話になった。

 

「10.89 km/l?日本では、あり得ない数値!」

 

と言われた。ドイツで乗っていたNew Beetle(写真参照)の燃費を伝えたときのエグゼクティブアドバイザーの口からこぼれた言葉だ。

 

ドイツで乗っていたのは今乗っているものと全く同じ車種(2000cc)だが、現在のものから7年も古い製造年の車だった。しかし、この日本に生息している7歳若いカブト虫の燃費は、当初8.89 km/lだったものの、冷房を入れるようになってから7.6 km/lとガタ落ち。ドイツで使っていた車は、クーラーを入れても別段燃費に変わりはなかった、はず。

 

「そんな数値は日本では聞いたことがない」と言うエグゼクティブアドバイザーは、疑いからか?少しにこやかな顔つきになった。何がその違いの要因なのか?彼と一緒に探した。やはり道路事情の違いではないか、というところに話は行き着いた。考えてみれば、ドイツで車を使って外出するということは、ほとんどアウトバーンを走ることだった(高速代は一切発生しなかったので、気楽だった!)。

 

エグゼクティブアドバイザーによると、「短い距離でチマチマ乗っていると、燃費は伸びないんですよ」とのこと。都内で乗っていると、これに相当することになる。というのは、例え高速に乗ったとしても、制限時速が80km/時だからだ。ドイツなら制限時速が設定されていなければ、通常130km/時で走っていた。ミュンヘンでの練習に遅れそうなときは、一番左のレーンを150km/時で走った。無論、バックミラーに次に挙げる車たちが映ったら、すぐに車線を譲った。BMWアウディ、ベンツ、ポルシェ、カウンタックなど。

 

ひとしきりショールームで、話していて思い出した。町と町の間を結ぶ道路は、速度制限の標識がなければ、どこも100km/時だったことを。

ドイツはどんな都市であっても東京などは違って、町と町の間までも民家で埋め尽くされているということはない。町と町の間の景色はただひたすら野原と森で、ちょっとすれ違うには細いと思える道が曲がりくねっている。最初はかなり怖かったが、その道をお互いに(対向車も)100km/時で走り抜ける。

 

前置きがとーっても長くなったが、このことがサッカーにも関わっているとドイツに居たときに感じた。ドイツ人はサッカーだけに限らず、メリハリが利いている。きっと彼らは、日常の生活の中で「on」と「off」を使い分けて暮らしているからだろう。

隣町へ行く道ではアクセルを踏み込み100km/時まで速度を上げ、隣町へ着くと50km/時までスピードを落とす。街中を抜けると、またスピードを上げる。隣りの町に入ると、また速度をゆっくりにする。日頃の生活の中に、その繰り返しが定着している。

 

サッカーの練習では、まるで試合をしているかのように激しくプレーする。その激しさは、我々日本人の比ではない。そしてこの差は、一緒にプレーしてみないとわからない。残念ながら、今ここで言葉では表現できないし、伝えられない。

目一杯背伸びした状態でサッカーをしているような感じとでも表現したらいいのか?もちろん常にではないが、要所要所目一杯の速さと力でプレーする。1998年に初めてドイツのクラブで練習したときに、一年の中のたった一回の練習なのに、まるでワールドカップでの試合であるかのようにプレーする、主にぶつかってくると感じたことを、今も忘れない。

 

日本人は、なかなかこの「メリハリのあるサッカー」をプレーできない。これは、日本人が普段の生活の中で「メリハリ」を利かして暮らしていない、「メリハリ」とは無縁の社会に生きていることに起因するのではないだろうか。

 

例えば、ドイツ人とは喧嘩しても、大丈夫である。大丈夫というのは、その後の付き合いが喧嘩をきっかけに一切なくなってしまう、ないしはなんとなくやりにくい相手になってしまうということが、ほとんどないという意味だ。むしろ黙っていると、バカだと思われ、その後何も話題を振られなくなる。そのことの方が、むしろ頭にくる。

 

話が脱線したが、ドイツでは単純に、とことん言い尽くす、お互いに。だから後腐れがない。わだかまりがない。言いたいことを最後まで言い切ることができるので、言えなくて我慢したり、相手に気を使って語気の強さを加減するということはなく、その結果グツグツと煮え切らな思いを抱えることはほとんどない。思ったことをそのまま口にすればいい。

もし意見がぶつかるのであれば、お互いにドッカーン、ドッカーンってやり合い(燃えかすも残らないくらいに!)、そのあと冷静になって今後どうやっていくかを一緒に話し合うことができる。ぶつかった意見だけは、その後も話題に登れば対立するけれども、それ以外の部分での付き合い方は何も変わらない。

 

ドイツ人は言葉のコミュニケーションにおいても、メリハリを持っているのかも知れない。